金売り吉次の墓

資料名 金売り吉次の墓
読み方 かねうりきちじのはか
時代 中世
所在地 壬生町大字上稲葉
資料解説 金売り吉次は、鎌倉時代の初め頃、源義経に仕えた金売りと言われています。義経が奥州へ落ちのびる際吉次も共をしますが、この壬生稲葉の地で病死。里人たちによって建てられたのがこの「金売り吉次の墓」と伝えられています。また、江戸時代の『奥の細道』を書いた松尾芭蕉に随行した曽良の日記には「壬生ヨリ楡木へニリ ミフヨリ半道はカリ行テ 吉次カ塚 右ノ方二十間ハカリ畠中二有」と記されています。